2014年9月25日木曜日

2014.9.10 立山カルデラ砂防見学会

本題であるカルデラ砂防見学会の話をしよう。

先のポストでも触れたが、運良く2014.9.10に立山カルデラ砂防見学会に参加する機会を得た。
倍率3倍のこの見学会。思ったよりも濃い内容だった…。



9:15 博物館集合

参加費を支払い、立山砂防カルデラ博物館の中に入る。
人数が揃い次第、すぐの出発かと思いきや博物館見学があるらしい。

配布された3点の資料。
(地形図入りのガイドブック・行程表・スズメバチ注意喚起ビラ!)


9:30 博物館見学スタート

今回の見学会で案内役を務めてくださった方から砂防事業の概要と必要になった背景、
立山カルデラの説明を受けた。
事前勉強していかなかったことを後悔するくらい、展示に関する説明は面白く興味深いものだった。

すべては安政の大地震(飛越地震)を期に始まった砂防事業。
この大地震で発生した土砂の量は約4億㎥。このうちの約2億㎥は、地震直後に数回に分けて富山平野を襲ったという。

今なおカルデラには2億㎥の土砂が存在する。
のっけから自然の脅威に身の毛がよだつ思いだった。


10:00 博物館出発

博物館を出発して、隣接する砂防事務所に入った。ここでこれから乗るトロッコの注意事項の説明を受けた。
立山では外来種の繁茂に苦慮しているようで、トロッコに乗る前に靴底を洗浄するよう言われた。数cm程度水が張ってある区画で足踏みして種子などを洗い落すという塩梅だ。


トロッコがホームに入ってきたので分乗。
車両の幅は人が横に2人座れる程度の狭さ。山側は虫・落石への懸念から常時閉められていて、川側は開いている。残念ながら川側は座れず山側に着席。

いよいよ38段スイッチバックを擁する砂防軌道へ…。


起点の千寿ヶ原。終点の水谷まで1時間半かけて上る。

立山ケーブルカーの軌道。アルペンルートに組み込まれてますね。

対面は砂防事務所の方。工事現場は携帯電話が通じないことからか、
衛星電話(赤い鞄に入っている)を携帯していらした。

列車は前進・後退を繰り返しながら山を登っていく。

2段スイッチバック。

崖をぬって進む砂防軌道。安全性確保の観点から、現在もトンネル建設を含めた新線への切り替え工事が数か所で行われている。

右側の線路は旧線。現在はトンネルでパスする。

右手に見える急峻な谷。この谷においても本格的な砂防工事が行われるはずだったらしいのだが、他の砂防工事現場で死亡事故が発生したことを踏まえ、リスク予防の観点から工期のかからない工事に切り替えたとのこと。



すぐ上流側の堰堤では工事が進められていた。




連絡所を通過。

右岸の一部が剥き出しに。この箇所は2000年頃に崩れたらしい。

斜面が剥き出しの状態に。

列車はいよいよ18段スイッチバックへ。
谷の奥深くに入っていく。

複数の堰堤が連なる。

急カーブを進んでいく。

徐行の標識が道路用のやつだった。

18段スイッチバックを一段一段上っていく。

通ってきた線路が下に。

来た道往く道

先頭車両に乗ってしまったので、せっかくのガイドさんのアナウンスも機関音と警笛であまり聞こえずじまい。それでも、谷側の風景・構造物の説明は面白いものだった。

山の中で列車が止まった。外に出てみると…

白岩砂防堰堤(重要文化財)が正面に。

うーん、ちょっとよくわからない。

現地には案内板が。
なるほど、ただここから全貌を伺うのはさすがに厳しい…。

再びトロッコに乗って水谷へ。

時刻は11:45頃。乗車時間1時間半程で、水谷発着所に到着。

いつの間にか標高1100m地帯に。

水谷には砂防工事に従事する作業員宿舎などがある。

2班はここで昼食休憩。
ご飯を食べ終わってから時間があったので、発着点奥にある滝を見に行ってみた。


来た道を振り返る。
森林鉄道のような趣き。

12:20 水谷出発

目の前に飛び込んできたのは細いトンネル。こんな細いトンネルを乗用車が涼しい顔で通り抜けていく驚き。
このトンネルがあることによって携行品リストに懐中電灯が追加されているのだが、持っていかなくても一応何とかなるようだった。

懐中電灯で照らしながら進みますよ。

トンネルを出て右斜め後ろを振り返ると、真新しいトンネルが目に入る。
そのトンネルに入ると…

無数のアンカーの先端が側壁に!

トンネル内にある案内板。緊張力という用語が気になった。


白岩堰堤を支える岩盤のうち、右岸は浸食が進んでいて安全性への懸念があるという。そこで右岸の補強工事を行っているのだが…この補強工事、なかなか手の込んだ工法を採用している。

右岸の山の中に2本のトンネルを通し、アンカーを通して右岸の岩盤を引っ張ることで崩落を防いでいるとのこと。

景観を守るためにそんな手の込んだことを…と思ったけれど、そもそもこんな断崖を表面から補強するなんて難しいわな。
いやはや、立山砂防事業のスケールは大きい…。

来た道を戻って、川が二つに分かれる場所まで歩いて2度目の休憩。ここで1班(帰りにトロッコに乗る見学組)と交換する形。

休憩箇所の横にかかる橋から上流側。
色々な話を聞くと、砂防工事風景あってこその景観だと感じますね。


さて、休憩場所には工事関係者用の温泉がある。
元は工事関係者用の温泉しか無かったらしいのだが、せめて見学者にも温泉をということで、見学者用の足湯が設けられたとのこと。

皆さん思い思い足湯を楽しんでいらっしゃいました。


(ナン氏はタオルを忘れて入れなかった模様。残念)


さて。先の写真を撮った橋のたもとにはこんな岩が。


ガイドさんの話によれば、2年ほど前の大雨でここまで転がってきた岩らしい。
なんと…。

休憩時間も終わり、バスに乗車してちょっと下流の白岩堰堤へ。


13:20 白岩堰堤

いよいよ堰堤に接近する。

白 岩 堰 堤

下流を覗き込むと…

幾段に重なる堰堤…(よくわからないけれど)

堰堤の右岸に目を向ける。こちら側の斜面は先述の通り、アンカーで引っ張ることで崩落を防いでいる。

内側から支えているとは想像しがたい外装。


説明板。繰り返しますが重要文化財です。

白岩堰堤の見学はあっけなく終わった。ここから今度は六九谷(1969年8月の集中豪雨による土石流で生じた谷とのこと)へ。
途中通ったトンネル、元々通っていた道が崩落したことを受けて掘ったとのこと。その総工費なんと50億円。立山砂防のスケールは規模的にも、金銭的にも、とても大きい。


13:30 六九谷展望台到着

六九谷展望台からは立山カルデラを一望できる。



緑色のケーブルの垂れる先には作業員の方が。
話によれば、休憩のために上がるのも面倒ということで、
作業中はずっとぶら下がっているらしい。


現場はいつ崩れてもおかしくないくらい脆い地盤となっている。従って、雨が降ると作業を中断して、作業員は安全な場所に避難するらしい。
「折角土砂を取り除いても、雨が上がったら土砂が取り除く前よりもうず高く積み上がってるなんてこと、よくあるんだよねー。」 なんということだ。
賽の河原の逆バージョンである。

その後で、この谷を見下ろしながら学芸員さんが仰った言葉が忘れられない。

「いやー、僕らは結局のところ150年前の地震の後始末をしてるだけなんだよ」




**:** 六九谷出発

次の見学場所は立山温泉があった場所。

途中バスは橋の上で小休止。車窓右手にあったものは…年季の入った堰堤。


名前を失念してしまったが、立山砂防を語る上では外せない堰堤だそう。

立山温泉のあったエリアに到着。

**:** 立山温泉跡地

まず目に飛び込んでくるのがこの石碑。

立山の砂防 ここより発す

立山の砂防事務所が最初に開設されたのがこの地だそう。現在も続く大規模な砂防事業の原点、非常に重い。

すぐ横には、飛越地震に起因する鳶山崩れにより亡くなられた方々の供養塔も。老若男女、十数人が土砂に埋もれ、この地で亡くなられたという…。現実はあまりに重い。


さて。一旦立山温泉から離れ、眼下に急流を眺めながらつり橋を渡った。向かった先は泥鰌池だった。

泥鰌池

昔、立山温泉の宿泊客がここで舟を浮かべて舟遊びに興じていた場所。当時を映す貴重な写真をガイドさんが見せて下さった。今となっては隔世の感。
泥鰌と名前がついているのは、ここで泥鰌を養殖していたから。
この地でタンパク源となるものが採れないため、池で泥鰌を養殖して貴重なタンパク源としていたという。なるほどなー。

元来た道を戻り、いよいよ立山温泉の遺構へ…。


建屋こそ残っていないものの、現地には浴槽の遺構が今なお残っていた。


こちらが男湯らしい。

男湯から少し離れて女湯。

立山温泉の湯治場は、登山客や上流階級に属する人々だけでなく、この地で砂防事業に従事する労働者の方々も利用していたという。
温泉に集まった労働者は貰った日当で賭博を行い、すっからかんになって帰っていったらしい。儚い…。

説明に耳を傾ける参加者の方々。

この立山温泉、往年はそうとう儲かっていたらしく、金庫にお金が入りきらないのがザラだったとのこと。俄かには信じがたい話である。


立山温泉を出発してカルデラから離脱、有峰ダムの方へ。
ここからしばらく、車内から地形を観察する格好に。


15:00 真川の跡津川断層


真川にある跡津川断層の露頭。
これこそが、飛越地震を引き起こした断層である。

断層の長さは約70km。この断層を辿っていくと、泉鏡花『高野聖』に登場する天生峠に達するという。なんという長さ…。

バスは有峰林道に入り、有峰ダム横の駐車場に止まった。トイレ休憩ということで、近くの展望台から有峰ダムを眺めてみた。


有峰ダム。貯水量は黒部ダムより1割多いとのこと。

余談だが、かの有名な黒部ダムは関西電力が事業主体であるのに対し、有峰ダムは北陸電力が事業主体となっている。

ここまでで何度か触れているが、その飛越地震により発生した土砂の量は、黒部ダム・有峰ダムの容積を足し合わせた値とほぼ一致する。
そして、その膨大な土砂の量の半分は、飛越地震が発生してから数度にわけて土石流として富山平野に流れ込んだ。自然の脅威…と言う外ない。


トイレ休憩が終わり、バスは博物館へ向けて走り出す。
途中の車内では、ガイドさんが立山の植物について紹介していた。熱心に伝えてくださる話はとても面白く、そういったストーリーが頭に入れば人生どれだけ楽しいだろう…と思ったり思わなかったり。

有峰口駅に近い常願寺川の橋上でバスは止まった。右手を見ると…

本宮砂防ダムの姿が!

何の変哲もないように見えるこの堰堤こそ、日本最大の貯砂量を誇る本宮砂防ダムである。
国から登録有形文化財の認定を受けているという。

貯砂量は500万㎥。なるほど、と一瞬思うが、流れ出た土砂の量は2億㎥。
桁が2桁も違う…なんということだ…。


さて、ガイドさんの話題は本宮にちなむ"雄山神社"(立山信仰)に移った。
女人禁制だった頃の立山の話、芦峅寺に比べ立場が弱かった岩峅寺…

長いツアーも終わってみればあっという間だった。16:30頃、再び博物館に到着。
班はここで解散となった。


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今回のツアーで聞いた話を思い出しながら再び資料館の展示を見渡す。
話を聞いたばかりということもあって、一つ一つの展示にリアリティを感じた。


普段は"無駄な公共事業が~"という切り口から語られる『砂防』。

地震国日本での砂防事業は決して無駄な事業ではなく、

その土地、ひいては国土を守る必要不可欠な大事業。

そういった認識を持てるようになった点においても、

今回の見学会は非常に有意義だった。



今回の見学会に従事された方々、非常に勉強になりました。ありがとうございました。

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